千葉県産コシヒカリのひみつを紹介します。
多古米は多古町で作られるお米の総称。明治生まれの、多古町のお米づくりのレジェンド並木良之助さんが、後にコシヒカリと命名されることになる越南17号を、多古に持ち帰り、多古の環境を舞台に試行錯誤しながら育成したのが、現在の多古米の原型となります。並木さんのお米には独特の「味」がありました。それで、「おかずがいらない」「冷めても美味しい」と言われるようになったのです。その美味しい「味」のある並木良之助さんのお米は、皇室献上米にもなり、一躍多古のお米を世に知らしめました。
その後、多古では、様々な生産者さんにより、「もっと美味しい多古米」を求めて研鑽が続けられて来たのです。
多古米の源流はコシヒカリ。でも、ただのコシヒカリじゃない、多古で進化を遂げた、言わば進化系コシヒカリ。みかけは、ちょっとちび助。タイ米と逆のちょっとふっくらタマコさん。食感は、モチモチとして食べ応えがあり、ほんのりとした甘味を感じる。微かに癖のある風味は、ただ素直なだけのお米が好みの人よりも、一歩踏み込んだ上級者向けとも言えるでしょう。それ故に、料亭やお寿司屋さんに好まれてきたのかもしれません。
さて、そんな進化系コシヒカリのオリジナリティは、どうやって生まれたの?
実は多古町は、3〜4000年前までは海だったのです!さて、この海は、徐々に湿地になり、治水され、水田に生まれ変わり、江戸時代には、下総地区は全国有数の稲作地帯になります。上総、下総地区の中でも、多古町のお米は上質で、この地区では、多古のお米が代表して幕府に運ばれていたそうです。
多古町を流れる栗山川、この流域はかつて海だったことから、地層の中には、魚介類が堆積した層があり、豊富なアミノ酸やミネラルを多く含む豊かな土壌となったそうです。この豊かな土壌が細菌や土壌生物の栄養素ともなって、長く稲作に適した土地となったようです。
多古米の「味」はこのミネラルやアミノ酸を多く取り入れて育ってるからなのでしょうね!
多古町のお米づくりのグレートレジェンド!並木良之助さんが、農林省東北農業試験場から「越南17号」を持ち帰ったのは、昭和29年。コシヒカリ命名の昭和31年に先立つ事2年、多古町では、多古米育成が始まったのです。
この並木良之助さんの努力は、
昭和38年 天皇陛下献穀米に選定
昭和46年 全国自主流通米品評会において食味日本一という形で見事に結実し、
並木さんは、
昭和48年 黄綬褒章を受章しました。
その後、並木さんの育てた多古米は、世代を超えて受け継がれ、多古町の誇りと言える存在となり、数々の栄誉に輝きます。
平成 2年 日本の米作り百選に選定
平成26年 天皇陛下献穀米に選定
平成27年 米・食味分析鑑定コンクール国際大会の早場米部門で金賞に入賞